デェレクターより
アンケートの回収、夏の音楽祭、堺フィルのコンサート、夏休み中の班行動の届出の必要
について最終確認があった。
今日は「ふるさとネットワーク・すずかけ塾」の北村修治講師により
『太陽の道 謎の北緯34°32′』の講義を受けた。
日本の※レイライン太陽の道について
(※1920年代にイギリスの写真家が教会や古墳墓や十字路が一直線上に並んでいることを発見し、彼により紹介された)
・小川光三「大和の原像」の中で示唆された日本のレイライン奈良の箸墓古墳を起点に、それを中心にして東西それぞれ数十キロの直線上
北緯34°32′に多くの聖地が存在している。
・この説が水谷慶一によりNHK特集でまとめられ「謎の北緯34°32′をゆくー知られざる古代」として放映され話題になった。
太陽の道は伊勢の神島から二上山を超えて対馬まで
神島~伊勢斎宮(伊勢神宮の元の鎮座地という説がある)~室生寺~龍穴神社~長谷寺から檜原神社~箸墓古墳~多神社~二上山~萩原神社~日置荘~出雲大社大阪分祀~家原寺~大鳥大社
堺で終わらず淡路島、対馬まで北緯34°32′が続く。
神島では三島由紀夫の潮騒の舞台。歴代主演の映画スターの話
土師氏は御陵を作る人の姓
日置荘は日置一族の支配の地
大鳥神社は鳥居、祠の新しくなった
壱岐対馬の泉村
興味深く思ったのは壱岐対馬泉村。北端から韓国まで50㎞もない韓国展望所の近くに泉村がある。講師先生の話では豊臣秀吉の挑戦侵略の「文禄・慶長の役」の際、石田光成により食料調達の任務にあたった泉州の人の末裔と思われるという話。村人の姓の木寺(きでら)は堺の大庭寺(おばでら)の出身と思われる。昔の同級生に同じ木寺さんがいたことを思い出した。
北緯34°32分上の太陽の道は古事記・日本書紀からの話。
歴史に詳しくない自分にとって興味深い、楽しい講義だったが頭がこんがらがった講義でした。
今日は「ふるさとネットワーク・すずかけ塾」の北村修治講師により
『太陽の道 謎の北緯34°32′』の講義を受けた。
日本の※レイライン太陽の道について
(※1920年代にイギリスの写真家が教会や古墳墓や十字路が一直線上に並んでいることを発見し、彼により紹介された)
・小川光三「大和の原像」の中で示唆された日本のレイライン奈良の箸墓古墳を起点に、それを中心にして東西それぞれ数十キロの直線上
北緯34°32′に多くの聖地が存在している。
・この説が水谷慶一によりNHK特集でまとめられ「謎の北緯34°32′をゆくー知られざる古代」として放映され話題になった。
太陽の道は伊勢の神島から二上山を超えて対馬まで
神島~伊勢斎宮(伊勢神宮の元の鎮座地という説がある)~室生寺~龍穴神社~長谷寺から檜原神社~箸墓古墳~多神社~二上山~萩原神社~日置荘~出雲大社大阪分祀~家原寺~大鳥大社
堺で終わらず淡路島、対馬まで北緯34°32′が続く。
神島では三島由紀夫の潮騒の舞台。歴代主演の映画スターの話
土師氏は御陵を作る人の姓
日置荘は日置一族の支配の地
大鳥神社は鳥居、祠の新しくなった
壱岐対馬の泉村
興味深く思ったのは壱岐対馬泉村。北端から韓国まで50㎞もない韓国展望所の近くに泉村がある。講師先生の話では豊臣秀吉の挑戦侵略の「文禄・慶長の役」の際、石田光成により食料調達の任務にあたった泉州の人の末裔と思われるという話。村人の姓の木寺(きでら)は堺の大庭寺(おばでら)の出身と思われる。昔の同級生に同じ木寺さんがいたことを思い出した。
北緯34°32分上の太陽の道は古事記・日本書紀からの話。
歴史に詳しくない自分にとって興味深い、楽しい講義だったが頭がこんがらがった講義でした。
班単位のクラスカフェを行った。
4班は近隣の食事処で会食し、一学期の振り返りと今後の遠足、ふれあい祭りについて話し合った。
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